Mr.Bigの歴史

「日本を愛し、日本に愛されたバンド」と称され、日本で絶大な人気を誇るバンド「ミスタービッグ」

ボーカルのエリック・マーティン。ギターのポール・ギルバート。ベースのビリー・シーン。ドラムのパット・トーピーの4人で結成され、超絶技巧とポップな楽曲を兼ね備えた演奏スタイルで世界的な人気を得ています。

ですが、メンバーの死やバンドの解散などのアクシデントも経験しています。今回はそんなミスタービッグについて、解説していきたいと思います。

結成

ミスタービッグの特徴として、アマチュア時代に結成された訳ではなく、メンバー全員がバンド結成前からプロとして活動していた点が挙げられます。バンド結成のきっかけとなったのは、ベースのビリー・シーンでした。

ベーシストであり、バンドの創設者のビリー・シーン

ビリーは、1953年アメリカ合衆国ニューヨーク出身。元ヴァン・ヘイレンのボーカリストであるデイヴィッド・リー・ロスバンドや自身のバンドであるタラスで凄腕ベーシストとして知られていました。

1988年にビリーは、在籍していたバンドを脱退し自身のバンド結成の為メンバーを集め始めます。そこでビリーは友人でありレコード会社を運営していたマイク・バーニーに相談し、彼の紹介でボーカリストのエリック・マーティンと出会います。

ボーカリストのエリック・マーティン

ボーカリストのエリックは、1960年アメリカ合衆国ニューヨーク出身。ミスタービッグ加入前には、グラミー賞受賞バンド「トト」へ加入する話もありましたが実現しませんでした。さらにソロ活動後もレコード会社からの契約を打ち切られるなど、思うような結果が得られない状態が続いていました。

ギターのポール・ギルバート

さらにギタリストには、ロサンゼルスを中心に活動していたポール・ギルバートが加入しました。ポールは、1960年アメリカ合衆国のペンシルベニア州出身。超絶ギタリストとして知られ、ミスタービッグ加入前には自身のバンド「レーサーX」を率いて活動していました。また、10代の頃に音楽学校に通いその後講師をしていた事もあります。

ドラマーのパット・トーピー

そしてドラマーのパット・トーピーは1953年アメリカ合衆国のオハイオ州出身。10代の頃にドラムを始め、自身のバンド活動をしながら徐々にプロミュージシャンのサポートなどを行うようになりました。ビリーとはバンド結成前から知り合いであり、既にポールとエリックが加入した状態のバンドのリハーサルに参加し加入が決まりました。

ちなみに「ミスタービッグ」というバンド名は、パットの発案でありイギリスのバンド「フリー」の曲名から取ったものです。その他に候補に上がったバンド名は、「レッドハウス」や「ホークス&タブズ」などがありました。

デビューから活動休止まで

デビューアルバム「ミスタービッグ」

その後1989年に老舗のレコードレーベルであるアトランティックレコードと契約し、同年6月にデビューアルバム「ミスタービッグ」をリリースしました。

尚、当初はワーナーレコーズと契約が決まっていたようですが、ある人物の発言により白紙となってしまったそうです。その後発売されたアルバムは、全米46位を記録しています。更にリードシングルとして「アディクッテッドトゥーザットラッシュ」が発売され、ビルボードで39位となりました。

7月には初来日し、東京と大阪を含む全国5カ所で6公演を行っています。翌年の1990年6月には、カナダのバンドであるラッシュのオープニングアクトとして全米を回っています。

1991年には2ndアルバム「リーンイントゥーイット」をリリースしました。アルバムに収録されている「ダディ、ブラザー、ラヴァー、リトルボーイ」はライブでの定番曲となり、ビリーとポールが電動ドリルにピックをつけて演奏する事で話題となりました。

2ndアルバム「リーンイントゥーイット」

また全米No.1ヒット曲「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」も収録されています。ちなみに全米1位になった事を知ったのは、エリックが偶然見ていたMTVの情報だったそうです。その影響もあってライブでの動員数も増え、チケットのソールドアウトが続出しました。

その他にも日本で初のシングルとなった「60’S マインド」や2ndシングル「ジャスト・テイク・マイ・ハート」も収録され、ファンの間ではこのアルバムが彼らの代表作と呼ばれています。ですが、「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」と「60’S マインド」は同じアルバムに収録するかどうかでメンバー間で意見が別れる事になってしまいました。その後91年から92年にかけて、イギリスやアメリカのツアーを行いライブアルバムも発売しました。

翌年の1993年には3rdアルバム「バンプアヘッド」をリリースします。このアルバムは一旦レコーディングを完成させるも、「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」の様なバラードが無い為レコード会社にやり直しを命じられた作品でもあります。

3rdアルバム「バンプアヘッド」

そこでイギリスのミュージシャンである、キャット・スティーヴンスの「ワイルド・ワールド」のカバーが追加収録されました。

この曲は日本でオリコン1位を獲得するものの、アメリカではヒットせずに終わってしまいました。また、未発表になった曲もありポールは後に「ショックを受けた」と語っています。

1996年には4thアルバム「ヘイマン」をリリースします。このアルバムは日本で先行発売され、オリコンでも1位となりました。

4thアルバム「ヘイマン」

同年に来日公演も行い、前年に発生した阪神淡路大震災の復興の為、チャリティーライヴも行いました。ですが、この頃になるとメンバーがそれぞれソロ活動を始めておりバンドとしての結束が薄れていきました。

更にシングル・カットされた「風にまかせて」のレコーディングはビリー抜きで行われ、次第に軋轢が生まれていました。同年11月にはベストアルバムをリリースしますが、音楽番組であるミュージックステーションへの出演を最後に活動休止を発表します。

活動再開、そして解散

ギターのリッチー・コッツェン(左から2人目)を迎え新体制となったバンド

1999年にミスタービッグは活動を再開しますが、ポールが脱退してしまいます。理由としては、バンド内の人間関係や方向性の違いなどがあるそうです。そして後任のギタリストには、かねてから親交のあったリッチー・コッツェンが迎えられました。

リッチーは1970年アメリカ合衆国のペンシルベニア州出身であり、19歳の時にソロアルバムをリリースし、その後はポイズンなどで活動していました。

新ギタリストのリッチー・コッツェン

その後5枚目のアルバムとなる、「ゲットオーバーイット」をリリースしました。今作はそれまでのハードロック色が薄れ、ブルース色の強い作品になっています。

5枚目のアルバムとなる、「ゲットオーバーイット

更に、リッチーがボーカルとしても参加するなどこれまでにない要素も追加されました。そして年末には来日公演を行い、大阪ドームでのカウントダウンライブに参加しています。

2000年には新曲を含むバラードベストアルバムである「ディープカッツ」をリリースします。ですがビリーの演奏が彼に無断でカットされた事により、メンバーとビリーの関係が悪化してしまいました。

翌年に「アクチュアルサイズ」を制作し、リリース直前になりバンドが「ビリーを解雇した」と発表しました。この頃になるとビリーはバンド内で孤立しており、アルバムの収録曲もビリー抜きで決められていた様です。

6枚目のアルバム「アクチュアルサイズ」

更にアルバムのプロモーションの為来日した際は、ビリーがおらず「別のベーシストが加入する」といった噂が流れていました。ですが協議の末、バンドは「ラストツアーを行い解散する」と発表しました。その後、メンバーは各々ソロ活動を行っていきます

再結成

六本木のハードロックカフェにて記者会見を開き、アコースティックライブを行うメンバー

バンド結成から20周年にあたる2009年に、13年ぶりとなるオリジナルメンバーでの再結成が発表されました。きっかけは、ポールのライブにビリーとパットがゲストとして参加した事でした。そこで久々の共演を楽しんだ彼らは、「ここにエリックがいたら」と思う様になったと語っています。

そして2009年1月にオリジナルメンバーでの再結成が発表され、未発表曲を含むベストアルバムとリマスターされた過去のアルバムが発売されました。

6月には日本でのツアーを発表し、全公演がソールドアウトになるほどの盛況ぶりでした。更にアジアやヨーロッパを回るツアーも行い、精力的に活動していました。その後、武道館公演の様子を収録したライブ盤がCDとDVDでリリースされています。

息のあった演奏を披露するギターのポールとベースのビリー。終盤からはパットとエリックも参加している。

そして、手応えを感じたメンバーはアルバムの制作を始めました。そして、2010年12月にオリジナルメンバーでは約15年ぶりとなるスタジオ・アルバム「ワットイフ」をリリースします。

約15年ぶりとなるアルバム「ワットイフ」
「ワットイフ」に収録された「アンダートウ」

2011年に発生した東日本大震災を知ったメンバーは急遽来日公演を行い、会場限定で販売されたシングル曲とライブの収益など約900万円を赤十字社に寄付しています。

2014年には新作「ザストーリーズウィクッドテル」が発表されました。このアルバムは、パットが2年程前からパーキンソン病を患っていることや、ポールの難聴などトラブルがあり制作が難航した作品でした。アルバム発売に伴うツアーも発表されましたが、パットが演奏できない為代役としてマット・スターが参加しました。

パッドの代役として参加したマット・スター

2017年には「ディファイング・グラヴィティ」がリリースされ、ドラムはマットが担当しパットはバックボーカルとパーカッションで参加していました。レコーディングと同じメンバーでツアーを行い、来日公演も果たしました。ですが、この来日公演がパットの日本での最後のライブとなってしまいました。

パットの死

2018年2月7日、ドラムのパット・トーピーがパーキンソン病の合併症により亡くなりました。同年2月15日にはロサンゼルスにてパットの葬儀が行われ、5月には彼の追悼ライブも行われました。

その後ドキュメンタリー映画の上映や、未発表曲のリリースなどがありましたが、パットがいない為バンドとしての活動が困難だと判断したメンバーは解散を発表しました。

そしてビリーは、「僕らは誠実であり続けなければならない。だからこれでお別れなんだ」と語っています。そして2023年7月の武道館公演ではパットの家族がステージに上がり、ビリーが「34年間ミスタービッグを愛し続けてくれてありがとう」と語りました。


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